スピリチュアルな日。
日曜の朝、
なんとなく身の回りがおかしいのです。ただただ違和感。
うすら寒いような気もするし、あるはずのものが足りないような感じもする。
ネットにヒントが見つかるかもしれないと、
すぐにPCに向かい検索しようとしましたが、なぜかPCも立ち上がらずうまくいかないのです。こんなことは今まで経験したことがありませんでした。
とりあえずスマホだけはネットに繋がったので、
気になるキーワードを入力して検索すると、近くに解決してくれると謳う施設が見つかったので、タクシーに乗り急いで現地に向かいました。
建物に入ると、一人の女性がまず症状を聞いてくれ、すぐさま一枚の紙を渡されました。
中で座っているよう言われ、今度は別の女性が私を呼び、彼女の前に座ります。
カウンセリングが始まり改めて症状を話すと、すぐさま彼女は向きを変えセッションを開始しました。
彼女は黒く平たい板を見つめながら丸いものを何度か手で擦りました。
そして、
「あなたは過去の約束を果たしていない」
はっとその時私は思いました。
なぜなら心当たりがあったのです。
「過去を精算すれば問題は解決する」と言われ、
彼女の助言どおり解決してもらうよう依頼しました。
また彼女は黒い板に向き直り少し難しい顔をしながら、
「電話番号を教えて」と言いました。
自分の携帯番号を伝え、
「解決にはどのくらいかかるでしょうか・・・?」
と消え入るような声で聞きました。
「早ければ2時間、遅くても24時間以内」
と返事を貰い料金を支払うと、もう帰っていいと言われ帰宅しました。
半信半疑で帰宅すると今度は男性から携帯に着信があり
「過去の精算は終わった。今から元に戻すよ。これからは気をつけなよ」
私は過去を精算し新たな生活を再開させることが出来たのです。
本当にありがとうございました!!
停電したので電力会社で調べてもらったら未払いだった。
料金払ったら二時間で停電が復旧した。
というお話をスピリチュアルカウンセリング体験談風に表現してみました。
目に見えないものをありがたがる、
というのはデンキもインチキも同じなのかもしれません。
「特集」サンタクロースの実態
サンタクロース。世界の子どもたちに夢を与える人たちの実態に迫ります。
例年にも増して今年のクリスマスはコロナ禍による一人あたりの配送力の低下と高齢化の進むサンタクロースに代わり、クライアントへプレゼントを送達するという代行ビジネスが活況です。
それは欲しい物のヒアリングから始まり、商品の選定から在庫の確認、商品の購入にかかるまでの費用をすべて下請け代行が負担するという、まさにサンタ側にとって極めて有利かつワンストップで完結できるという構造です。
元請け側のサンタが用意するものは「白髭を蓄えた優しい笑顔の大袋を抱えた中高年男性」というイメージだけ。コンサル、決済、配送までの全ては下請けに担わせており、すがすがしいまでの丸投げの実態が見えています。
無慈悲なまでに厳しく設定された納期は、クライアントの就寝後から起床までの間という非常にシビアなスケジュールを強いられており、業務環境としては大変厳しいものです。またクライアントからのクレームについても「これじゃない!」「待ってたのに来なかった!」や、「プレゼントが高額過ぎるではないか」などというクライアントの親(両親のどちらかが事業に関わる率が多い)からのものなど多岐にわたります。しかしこのような問題に関して元請けのサンタクロース側は一切関与せず、すべては下請け業者の問題という構造になっています。
ここまでシビアな要求をクライアント側から受けながら、サンタクロースの役務代行しているにも関わらず、その経費が支払われないというトラブルは毎年12月ごろに集中して世界中で発生しており、我々特命取材班が調べてみたところ、サンタへの請求先が不明確で、連絡すら取れないという事実が判明しました。
なぜそんな詐欺のようなビジネスが長年にわたり放置されているのか実態を掴むべく、実際にサンタクロース代行業に携わるAさんに話を聞きました。
Aさんは38歳。奥さんとの間に7歳の子供が1人。この代行業は自分の子供が物心ついた頃に始めたといいます。「費用が支払われないという事実はあるか?」と短刀直入に聞いたところ、「ある」と答え、続けて「子供の笑顔が見れればそれでいい」と話しました。
実体のないサンタクロースを語るこのようなビジネスは他にも複数存在し、サンタクロースの現在地を追跡できるというサンタトラッカーや、サンタさんにお手紙を書くと返事が来る、などというサービスまであります。
私たちの取り巻く現実世界はあまりにも悲しく、そして汚い。そんな現実世界に存在する「夢」のひとつがサンタクロース。
Aさんがサンタクロース代行業について笑顔で語る時、その目はどこか遠くの「夢」を見ているようでした。
メリークリスマス。すてきな夜を。
【神鉄文学】続 2か3か「預言者顕る」
神の啓示を預言する者が顕れた。
日々繰り返される神の試練。
日によってドア位置の異なる電車が来る駅の風景。世間体など気にしない風体のサラリーマンは、周囲の目など気にせずぶ然とした態度で「乗車位置で待ってるのにドアがないのは俺のせいちゃうし!」と2ドア整列位置に肩を入れ込んでくる。そうでない人は戸惑いながらも遠慮がちに2ドアの列にに加わる。
神(鉄)は欲と理性の戦いで人類をお試しになります。
となると、3ドアと2ドアの両方にドアがある位置で並べばいいじゃないか。消極的な考え方だが多くの人類はこの選択肢を選ぶ。
おめでとう。あなたは神鉄ツーキニストLv1クリア。今朝もスマホを虚ろな目でみている。
日々の裁き(2ドア車両がくるか3ドア車両がくるか)の前に、まるで神の啓示を知っているかのような動きを取る女性がある時現れた。なんとなく巫女と呼ぶことにしよう。朱色の袴は召しておられない。
その巫女は多くの利用者と同じようにスマホを眺めたまま乗車位置目標に並んでいるのだが、日によっては誰も並ばない3ドアの位置(新参者以外消して並ぼうとしない位置)に立っていることがあった。すると必ず3ドア車両がやってくるのだった。
いろいろと仮説を立てた。
1.神鉄関係者で車両交番を知っている
2.家が線路の近くで折り返してくる電車のドア数を毎朝出かける支度をしながら見ている
3.ガチの鉄オタ
などと数説を立てるものの検証には至らなかったが、巫女はドア位置を毎日正確に当てていった。仮に新参者がうっかり3ドア位置に立っていたとしても、巫女がそこに居なければ必ず2ドア車両なのだった。シャリーン的な鈴は持っていないし、葉のついた木の枝的なものを振り回しているわけでもない。
実は私にも巫女と同じような能力がある。が別に滝行や山奥での修練を積んだわけではない。子供の頃から毎日神鉄を眺めてニヤついていただけだ。うまい棒とメローイエローを持って電車の見える場所でチルアウトするのが放課後の常だった。チルアウトとは言ってなかったけど。他人から見れば苦行にしか見えないのかもしれない。大人になったら通勤時に確実に座れるようにと修行していたわけではない。
この能力は電車が止まる数秒前からだけ能力が発動する。有視界のみでだ。
「巫女vsガチヲタ」
ある日、巫女は3ドア位置に立っていた。私は迷わず巫女の後ろに並んだ。啓示能力を信じ切っていた。
踏切が鳴り始める。
遠くから前照灯の光が見えてくる。
オデコの真ん中に2連の前照灯がついているタイプだ。
手強い・・・こいつはライトだけでドア数確定はできない。
神(鉄)は音を立てながら徐々に近づいてくる。
乗車列に遮られて車番が見えない。
人と人の隙間から一瞬車番見えた。
1104(2ドア車両)
…巫女はしばらくの間引きが良かっただけだった。
…いやもしかするとその能力を悟られないようにわざとハズしたのかもしれない。
そんな日常を繰り返して、今朝。
いつものように2ドア位置から3ドア位置へとフォーメーションチェンジしようと一歩踏み出したところで、同じタイミングで動く男がいた。
その男と一瞬目が合った。少しだけ笑顔で会釈してきた気がした。
静かな朝の静かな駅の変わらぬ日常が少しだけ変わったような気がした朝だった。
【神鉄文学】2か3か
神の鉄道と書いて神鉄。
神は人類をあらゆる手法で選別をなさいます。
座れる者と座られざる者とに。
Mが丘駅。
郊外の住宅街にある、静かで穏やかな単線の小さな駅。
毎朝、仕事に向かう人たちは駅のホームで列をつくり、ローカル線とは言っても通勤の時間帯には各乗車位置ごとに数人が並ぶ。
ホームの反対側には乗車ドアの位置を示す看板が立てられ、それを目標に人々がホーム上で整列する。
…椅子に座りたい。
座高の低いふんわりしたボコッと沈み込むあの緑ファブリックのシートに。
現世の極楽浄土、通勤者の安寧の地。
ただその一心で、静かな朝の静かな戦いは繰り返されている。今日も。明日も。
ホームに表示されている乗車目標は3ドア用のもの。にもかかわらず神鉄には2ドアの車両と3ドアの車両がある。
時刻表に発車時間と合わせてドアの位置を示す注釈が付いていたり、ホームの電光掲示板に乗車位置が○や△で示される鉄道会社もあるが、
静かで穏やかな単線の駅の朝にそんなものは必要ない。修行通勤者のための禅スタイル。
列車は毎日違う車両でやってくる。硬派通勤者のためのアルティメットスタイル。
やるかやられるかの席争奪戦。時間までドギマギしながら列車を待つ。フゥ…朝から飛んだ心理戦だぜ。
新入学や異動、引っ越しなどで、新たに参戦する多くのエントラントは当然、右往左往する。
だってドア位置で待ってるのに、ドアが来ないんですもの。
「あぁ、またそんな季節か」などという古参の冷めた目線も手伝って相当に恥ずかしい。
かつて私もそうだった。あれは本当に恥ずかしい。
そんな気持ちを出さず、
静かに、
俯いて、
じっと、
スマホを見て待つ。
…どんなにスマホ検索したって次の列車のドア位置などわからないのに。。。
自らの席が確保できるかどうかもわからないのに、外面では慌てず騒がず、内面で燃えたぎる闘争心、というのが神の裁きを受ける人類の作法。
神のお導きを。
あのなキャシー
ゼネラルマネージャーアシスタントのキャシーという香港人からメッセージが届いた。
香港总销经理というなんか強そうな肩書きのキャシーからのダイレクトメッセージだった。
Linkedin、それはなんとなくFacebookやInstagramとは異なる雰囲気を持つ、なんとなく賢そうで、なんとなくエグゼクティブみたいな気分になれるサービス。
メッセージは英語だった。やっぱリンクトインやしな。世界は英語なんや。Linkedin、で香港人、から英語、でメッセージが届いた私はかなり「意識高い」くなっていた。
「日本の今のコロナってどんな感じ?」と言った内容だった。
やっぱ香港人やしフランクやな。直接聞いた方が早いっていう合理性もなんか香港ぽいな。意識高いしな。
それからしばらくやりとりした後、キャシーは
「他のSNSやってる?Linkedinは使いにくい」と言ってきた。
今思えばそれは「他のSNSへの誘導」だったが、特に気にせずLINEに移った。それからはLINEでの雑談が始まった。
ある夜、唐突に「いま歯磨き中〜」と画像が送られてきた。さすが香港人、フランクやな。
ぴったりした薄手の部屋着で歯ブラシを持っている画像。紳士諸兄にわかりやすく説明するとユニクロのエアリズムみたいな素材だ。生地が伸びてさらに強い光が当たっているのでうっすらと谷間が見える。
あのなキャシー。飛ばし過ぎや。
ファイル名が気になり、プロパティを開く。
微信图片20180807-副本.jpg
あのなキャシー。
この流れでなんで2年前の歯磨きやねん。
しかも副本ってキャシー、加工後のコピー出力しとるやんけ。
すぐさま「これ自撮り?」と聞くと、キャシーは「そう」と答えた。
あのなキャシー。
自撮りでキャッチアイて。
瞳にカメラマン映ってるで。
首に影できるくらい光当てるか。
上記を踏まえ、
「写真うまいね!モデルの写真みたい」と送った。
キャシーは突如、画像を取り消した。
ふふふ、まだまだこれからだぜキャシー。
翌日の写真は「今日の晩ご飯」という。サラダの写真。
20190617.png
あのなキャシー。どう見てもそれはぶっかけ飯やぞ。まあええけど。
キャシーは香港の茶館を経営しているという。
茶館があるという通りの名前を教えてくれた。
Googleマップでその場所を見てみよう。飛んでけペグマン。
ペグマンが見せてくれたのは、両サイドバリケードで再開発中のストリート。いやこれは何かの間違いだ。移動式店舗かも知れない。よく見たらマップの更新が2007年だ。抜かりなくそのあとは百度地图でキャシーの店を探しに行く。バリケードは無くなり大きなモールがそこには出来ていた。
さすが香港。
「なんていう店の名前?」
普段は返事に一定のタイムラグのあるキャシー。
今回はすぐさま、
"上茗"
と返事が来た。
なんとなく聞いたことのあるチェーン店茶館っぽい名前だった。英語圏では強調するときに「""」で文字を囲うと聞いたことがある。意識高いし。
きっとキャシーは自分の会社に強い誇りがあるのだろう。
…なんて思うとでも思ったか。
あのなキャシー。
慌ててExcelのセルコピーを貼り付けたから"上茗"てダブルコーテーション付いたんやろ。どうせ
設定資料.xlsの
6行目あたりがキャシーのキャラ仕様設定でF6あたりが勤務先なんやろ。
キャシーは語る。
台湾で生まれ、キャシーの両親が以前から香港で事業をしていて、キャシーは離婚したあと両親の事業を、手伝うために香港にやってきた、そうだ。
なあキャシー。
多分H6セルやろ。わざわざ離婚したっていう必要ないで。
でもなキャシー。
騙されてあげようにもオッチャン手取り12万やしな、ITとかそこそこわかる世代やし、
もっとなExcelとかよー触らん、何も出来んのに時代が良かっただけでいい給料もらってる日本人のオッチャン探し。なんせ世間も世界も知らんからチョロいで。そのほうが絶対ええよ。
たぶんそういうオッチャンはFacebookにいっぱいおるで。
ブタ鼻ススリに関する考察
上海の路線バス(2016)
上海も夕方の道路は慢性的な渋滞です。
路線バスも運転士たちの熱意溢れる様々な工夫で、
人民たちの貴重な余暇時間を資本主義経済の悪しき弊害から守ります。
空いている道路を活用した、左折専用レーンからの渋滞車列ぶっこ抜き。
たぶんそれは反対車線の左折レーン、中央分離帯を超えた車線を使った華麗なる逆走。
・・・などはそれが渋滞時の服務マニュアルであるかのような迷いの無いハンドルさばき。
運転士がノッている時には
地元の利を最大限に活かした臨機応変かつ機敏な経路変更。
経路変更によるバス停の不通過は、なんとなくそれっぽいところで降ろしてくれるという熱烈服務。
そして今日はついに買い物で賑わう大型スーパー敷地内を走行。
道路沿いの敷地内なのでバス停はちょうど裏側で降ろしてくれます。気が利くね。
その後運転士は終点間際で車内に掲示している氏名札を片手でヒョイと取り外し、
あとは車庫に帰って退勤するだけモード。
渋滞なんかにはまってられるか。ちゃっちゃと終わらせて帰りたい。わかる。
モラルやルール、世間だクレーマーだで
がんじがらめの日本人から見ると、とても気持ちの良いものです。
がんばれ上海公交巴士集団。