【神鉄文学】2か3か
神の鉄道と書いて神鉄。
神は人類をあらゆる手法で選別をなさいます。
座れる者と座られざる者とに。
Mが丘駅。
郊外の住宅街にある、静かで穏やかな単線の小さな駅。
毎朝、仕事に向かう人たちは駅のホームで列をつくり、ローカル線とは言っても通勤の時間帯には各乗車位置ごとに数人が並ぶ。
ホームの反対側には乗車ドアの位置を示す看板が立てられ、それを目標に人々がホーム上で整列する。
…椅子に座りたい。
座高の低いふんわりしたボコッと沈み込むあの緑ファブリックのシートに。
現世の極楽浄土、通勤者の安寧の地。
ただその一心で、静かな朝の静かな戦いは繰り返されている。今日も。明日も。
ホームに表示されている乗車目標は3ドア用のもの。にもかかわらず神鉄には2ドアの車両と3ドアの車両がある。
時刻表に発車時間と合わせてドアの位置を示す注釈が付いていたり、ホームの電光掲示板に乗車位置が○や△で示される鉄道会社もあるが、
静かで穏やかな単線の駅の朝にそんなものは必要ない。修行通勤者のための禅スタイル。
列車は毎日違う車両でやってくる。硬派通勤者のためのアルティメットスタイル。
やるかやられるかの席争奪戦。時間までドギマギしながら列車を待つ。フゥ…朝から飛んだ心理戦だぜ。
新入学や異動、引っ越しなどで、新たに参戦する多くのエントラントは当然、右往左往する。
だってドア位置で待ってるのに、ドアが来ないんですもの。
「あぁ、またそんな季節か」などという古参の冷めた目線も手伝って相当に恥ずかしい。
かつて私もそうだった。あれは本当に恥ずかしい。
そんな気持ちを出さず、
静かに、
俯いて、
じっと、
スマホを見て待つ。
…どんなにスマホ検索したって次の列車のドア位置などわからないのに。。。
自らの席が確保できるかどうかもわからないのに、外面では慌てず騒がず、内面で燃えたぎる闘争心、というのが神の裁きを受ける人類の作法。
神のお導きを。